オランアスリって?
●トンカットアリ等のハーブを生活に利用するオランアスリって?
オランアスリ(Orang Asli)は、“人々の起源”や“始めの人々”を意味しています。彼らはマレー半島に住んでいます。今でも6万人のオランアスリが熱帯雨林で海岸や川に沿って生活していると言われています。 オランアスリは6,500種類以上の植物を気の遠くなるほどに長い間にトライアンドエラーの経験を積み重ね利用しています。
オランアスリの中でもそれぞれの言語や文化を持ち、大きく3つのグループに分かれます。
・セノイ(Senoi)
・現住マレー(:Orang Malayu Asli)
・ニグリト(Negrito)
国土と国民
マレーシア国民は、実に多彩な人種と宗教グループによって構成されています。東西貿易ルートの極めて重要な位置にあるため、マレーシアには歴史的に様々な商人と移民が流入してきました。ヨーロッパ人に加えてインド人と中国人が流入し、先住民族と合わせて人口は増大しました。
オランアスリすなわち「最初の人々」は、現在でも国の特定の場所を移動していますが、工業化の波に押されて村落共同体は減少してきました。
人種のるつぼ
マレーシア人は大きく2つの集団に分類することができます。すなわち、土着文化に基づく集団と他の場所の文化に基づく集団です。
先住民はブミプトラとオランアスリから成り、移民集団は非ブミプトラと呼ばれます。
原始オランアスリ部族(ニグリト、セノイ、原住マレー)の子孫はまだ半島内に居住していますが、人口全体のごく少数を占めるに過ぎません。19世紀後半から、母国の貧困、戦争、革命を逃れようとするインド人と中国人の流入が激増しました。
マレー先住民、マレー系人口と合わせて人口は増大し、今日のマレーシア人口は2100万人に達します。
最古の住民:ニグリト族
最も純血の人種は、半島北部と東部に居住するニグリト族です。彼らはアンダマン島、フィリピン、ニューギニア、インドネシアの一部に住む民族と近縁関係にあります。ニグリト族はたくましく均整のとれた体つきをしていますが、身長約150cm以下と比較的小柄であるため、彼らを「ピグミー(小人)」と呼ぶ人類学者もいます。
ニグリト族の起源には不明確な部分もありますが、2万5千年ほど前、現在のメラネシアに行く途中に東南アジアを通過した古メラネシア人の生き残りではないかという説があります。
ニグリト族の言語はオーストロネシア語族に属するマレー語と異なり、クメール人とベトナム人を含む東南アジア本土のほとんどの民族が話すオーストロアジア語族と類似点があります。
ニグリト族は半島中央に広がるメイン(チチワングサ)山脈の丘陵地帯に住む真の遊牧民で、ほとんどあるいは全く耕作は行わず、狩猟と採集にいそしみながら雨林を移動します。移動生活を送るために物を所有せず、シュロの葉で差し掛けの簡単な住居を造り、自らの能力や天然資源、そして相互扶助により自給自足の暮らしをする部族です。
自然環境と深い関わりを持つために、ニグリト族の考え方と儀式慣習は自然界によって形づくられてきました。社会組織は単純で、父親方・母親方の親族と等しく関わりを結びます。ニグリト族同士の結婚は財政的にも社会的にもメリットがないため、正式には行われません。また、近親結婚は許容されません。
ニグリト族は友好的で平和を好む部族です。現在は政府の枠組みにより即した生活を送る集団もいますが、ニグリト族は今でも現金収入になるラタン、竹、薬用植物などの森林産物を集めるために熱帯雨林に戻ります。
マレー人と原住マレー人
マレー人の一部はもともと中国雲南出身であると信じられています。先史時代、アジア中心から南方に向かう彼らの移動ルートの一つがマレー半島で、遊牧先住民族を沿岸部から追いやりながら移動しました。
マレー半島の東海岸、サバ州、サラワク州のマレー人は、最も長い歴史を持つ民族が多く、その歴史は植民地時代を何百年もさかのぼります。より近年には、19世紀と20世紀にスマトラ島からマレーシアの農業プランテーションで働くために移民が流入しました。事実上、ジャワ人、バンジャール人、ボヤン人、ブギス人、ミナンカバウ人を含む他の民族は、マレー人と見なされてきました。
サバ州のバジャウ族もこの範疇に分類されます。イスラム教の結びつきと、人種的起源や言語の類似などの共通する文化的特性から、これらの集団がブミプトラ・マレー共同体に同化するのに時間はかかりませんでした。
マレー系・非マレー系ブミプトラを構成するのは、サバ州とサラワク州の民族集団です。サバ州最大の民族集団はカダザン(ドゥスン)族で、他にムルット族、ケラビット族、ケダヤン族などの重要な少数民族がいます。
イバン族(海のダヤック族)はサラワク州最大の民族集団であり、同時に最大の非マレー系ブミプトラでもあります。他にビダユ族(陸のダヤック族)、メラナウ族、クニャー族、カヤン族、ビサヤ族などがいます。初期入植者がこうした部族の共通する祖先ですが、分離と融合を経た結果、現在のアイデンティティーや特徴を持つに至りました。
伝統的に農耕民族であるマレー人は、現在でも農業依存人口の大多数を占めます。彼らは主に水田耕作とゴムの小自作農を行い、東部沿岸では多くが漁師をしています。自らの経済的な立場を意識して現在では国の商業や産業に関わるマレー人も多くなりました。これは貧困撲滅と社会の再編成を目的として1970年に導入された新経済政策によって可能になりました。
その他の人種
非ブミプトラ集団の主な構成員は中国人とインド人で、他にアラブ人、シンハラ人、タイ人、ユーラシア人、ヨーロッパ人の小規模共同体がこれに含まれます。中国人はかなり早い時期からマレーシアに入植していましたが、大規模な流入が始まったのは1786年にイギリスの影響が確立された後です。中国人はマラヤ土侯国のスズ鉱山開発のために連れてこられました。大多数は中国南部出身で、広東人と福建人が最大の民族集団です。勤勉でつましい中国人共同体は、マレーシアの経済発展に重要な役割を果たし、小規模農業の他、スズ鉱業、天然ゴム産業、小売業、卸売業に多額の出資をしています。
インド人のマレーシア入植は、多数の商人がコロマンデル海岸から物々交換と通商のために半島に入った西暦5世紀までさかのぼります。その後19世紀初めに、契約労働のインド人が大量に流入しました。彼らの多くはインド南部出身で、拡大するヨーロッパ資本のゴム農園で樹液採取に従事するために入植しました。その多くが永住してマレーシア国民となり、マレーシアの行政、社会、経済、政界で重要な役割を果たしています。
